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後編

「……怒……らないんですか?」
「怒ってどうするのさ」
 護はゆっくり答えた。
「過ぎたことには捕らわれないことにしているんだ。事実は変えられねーし……話して欲しいな、全部」
 珠名は戸惑ったが、やがて返事した。
「──はい」
「話して……全部納得した上で、忘れちまおうぜ。……これから生徒会で仲良くやってかなきゃ行けないんだから」
「はい。……何処から話せばいいんだろう……僕、もう気付かれてるかもしれないけど……女の子なんですよ」
 護は目を閉じて、静かに珠名の言葉に耳を傾けた。
「僕の家……母方の方は、裏千家の家元の分家なんです。
本家では後継ぎを長いこと待ち望んでいました……秋夜の家は必ず女の子が家を継ぐ、というのが決まりなんです。けれど女の子はなかなか生まれなかった。その頃秋夜の家は傾きかけていて、祖母は焦っていました」
「……」
「だから僕が五歳になった年、祖母は分家の娘だった僕に秋夜の家の跡とりとして本家で家元としての教育を受けさせました。──カタチだけでもいい、後継ぎが本家に居るということがどうしても必要だった」
「……変なこと、考えたんだな。っと、失礼だな、こんな言い方」
「いえ……僕もそう思ってますから。
……十一歳のとき、秋夜の父が亡くなりました。そのあと母は、祖母に勧められ、今の父、秋夜幽玄と結婚しました。そして……そのあと、妹が生まれた」
──何だ、今。珠名がすごい表情をした。
「珠名……」
「僕、本当の父はイギリス人で……だから髪の毛の色も瞳の色もこんなでしょ。小さい頃からたくさんいろいろなことを言われてて……いわば憎まれっ子でしたから、秋夜の家には嫌な感情しか持てない」
 ふっと珠名の表情から、毒気が抜けた。
「すいません……聞かれたことには、全く関係ないことですよね」
 それに妹はすっごく可愛いんですよ、と珠名は少し照れ恥ずかしそうに付け足した。
「──男子部にいるのも、同じなんです。妹が生まれて僕はお役目から解放されたんですけど……最初は後継ぎの娘に悪い虫がつかないようにということだったんでしょうけれど、役目が終わったら終わったで僕の存在はもう秋夜の家にはゴシップの元でしかなくなっていた……」
「……嫌な思い出、話させてしまって……済まなかった」
 護の声は、溜息に近かった。
「忘れるよ。……気休めかも知れないけど、余り過去に捕らわれるなよ。お前はいい奴、なんだからな」
「はい。……」
 ……こつ……こつ……
 ──人の気配に、二人は息をひそめた。
「もう一人、仲間が増えたぞ!仲良くやんな」
 三人目は、相当の年齢の男性だった。
 際立って目立つのは、死んだ魚の様な虚ろな眼、かなり汚れていたが白衣らしい物を着ていた。何年も、身だしなみを整えてないような──
 下っ端の姿が消えると、護は珠名に耳打ちした。
「俺は下手に動けない。珠名……あのおっさんの素姓を聞いてみてくれ」
 珠名は少し躊躇したが、すぐ頷き年配の男性の方にずり寄った。
「……あなたは、どなたですか?」
 珠名の声に顔を向けた男性は珠名を見た途端──眼に知性を微かに戻した。口髭で見えない唇が、ある名前を呼んだ。
「……ひ……と、み……」
「今、何て?」
 珠名はすぐさま問い返した。……が、男性はすぐに眼の光を失い、そっぽを向いてしまった。
「何だって?」
 戻ってきた珠名に、護が尋ねた。
「あの人……高瀬さんの名前、呼びました。確かに……」
「仁巳の?……その他には」
「いえ……何も」
 護は三人目の仲間の顔を盗み見した。
 覚醒剤患者……それももう、末期の方だ。……医者の息子はそう判断した。
 護は、しばらく黙ったままだった。ただ一言、
「仁巳と、どう言う関係か……」と呟いて。

「さて。呼び出すとするかな」
 三揃えの声がした。
 携帯電話を片手に、護達の方へ歩み寄る。
「元気な声を聞かせてやれよ。へ、へへ……」
 時間の経過とともに、三揃えはその本性を表わしつつあった。
 太い指が、ダイヤルを押す。
 三回半、コールが鳴った。
「……やあ、……君の友人を預かっている者だ。まぁまぁ、そう言わないで。手の掛かるのを預かってるんだ。むしろこっちの方がいたわってもらいたいね」
 ……手が掛かって、悪かったな。
「……こちらの人質は三人だ。片桐くん、秋夜くん、それから君の父親さ。君の生みの親だよ」
 護と珠名の視線が年配の男性に集中する。
 あの……覚醒剤漬けの、男性が──あの仁巳の、生みの親だと?
「そうだね。……二十分以内、だよ。もちろん手ぶらで。……声が聞きたいか。君の友人達は、いいよ。──君の父親は、良心の呵責と、君を想って悩んだ結果、口がきけないようになってしまった。……じゃ片桐くんから、行くか」
 受話器が護の口許に添えられた。
「仁巳!──元気だぞ、俺は!珠名もいる!」
「ふーん……じゃこんな事しても、平気だよな」
 三揃えが振り下ろした短い棒は右腕の傷口を直撃した。
「───!」
 護は声を上げまいと唇をかみしめ──かみしめすぎて、血があふれた。
「ゆ……!」
 護さん!と叫びそうになり、珠名はようやく思いとどまった。……護の目に説得されて。
 受話器が再び三揃えの方に戻った。
「君の友達は実に健気だな。……腕を骨折したのさ、右腕。今軽く治療してやったがね、麻酔もしなかったのに声一つ洩らさなかったよ。──只今六時半だね。二十分後だ。それでは」
 ピッ。──これ程電話の切れる音が嫌だと思ったことはあるまい。
「これからどうする気だ……」
「……まず秋夜くん。これが何だか判るかい」
 三揃えは手元の引き出しから白い粉の入った包みを人差し指と親指でつまみ、ひらひらさせた。
 先程から青かった珠名の顔から、更に血の気が引いて行く。──まるで石膏で出来た彫刻の如く。
「これを君の身体に打つ。そして、──片桐くん。君を殺すよ」
 護は只、黙っている。
「それも只殺すんじゃない。……一つ一つ身体を分解して、心臓まで、だ。──秋夜くんにも見物してもらうさ。君だって、見取ってくれる人が欲しいだろう」
「生憎、俺は自殺も他殺も御免こうむる。俺は寿命全うして、八畳間のど真中にふっかふかの布団にくるまって眠ったまま安楽死するんだ」
「お前の望みなんぞ一々聞いていたら極道やってられっかっ!」
「ごもっとも」
 護は苦笑しながらそれでも言った。
「だけどさ、俺まだ何にも知らない十六歳だぜ。これからいい所だってのに、愚痴こぼしたくもなる」
「そーかい、そーかい。若いってのはいいな。えっ?」
 頭を拳銃でこづかれる。
「……脳細胞、二百は殺したな。只でさえ悪い頭、これ以上悪くしないでくれ」
「その口答え、出来ない様にすぐさま殺してやったっていいんだぜ」
「日が暮れるよ。口答えは俺の本能だから、即死させないととまんないぜ。──それ、嫌なんだろ?」
 そこまで言うと、護は珠名にウィンクした。珠名は最初きょとっとしていたが、護の意図を悟ると、喋り出した。
「口答えが気になるなんて、老化の前兆じゃないですか?」
 護は思わず笑ってしまった。
「珠名、お前、そのおとなしい顔で結構きついな、……あぁ、苦しい」
「──黙らんかっ、お前等っ!」
「すぐ怒るのも老化現象の一つですよ」
「きさまぁ……」
 三揃えの目が本気になりつつある。……やばい。護は三揃えに話しかけ、珠名から気をそらそうとした。
「そう言や、俺お前の名前、知らねーぞ。何てーの?」
 三揃えはようよう怒りを押さえると、護の問いに答えた。
「徳川だ。先刻、徳川事務所っつーたろ」
「……はー。偉かったんだな。──下は?」
「は?」
「ファースト・ネーム」
「構やしねーだろがっ!」
「家康?秀忠?家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗……珠名、次何だっけ?」
「家重」
「そーそ。んで、家治、家斉、家慶、家定、家茂、慶喜……あ、終わっちった」
「光圀とか」
「斉昭もいたよな」
「頼宣は?」
「紀伊家……んでもって頼房がいてさ」
「水戸家ですね?尾張は義直ですね」
「徳川さん!豊臣って知り合い、いる?俺の先輩に織田さんっているぜ」
「そーか、そーか。そりゃ良かったな」
 三揃えは退屈そうに答えた。どうやら捕虜の無駄あがきは無視することに決めたようだ。
「珠名。徳川さん、どうしたのかな」
「若い者の勢いについていけなかったんでしょう」
「つまんねーの」
……結構乗りやすそうに見えたんだけどな。あのプライドの高さといい、自分の台詞に陶酔する様といい……
「親分!化け物が来ましたぜ」
「……馬鹿野郎!ボスって言え!」
 あーあ。本っ当にバカ。殴られてやんの。……あれっ?……
護は、妙に気分が落ち着いてきたことに気付いた。
 珠名の方をちらっと見ると、話しかけてきた。
「護さん……有難う」
 幽かに血の気が戻っている。
「有難うって、何が」
「……何か、落ち着いてきました。それに、勇気と……予感がちょっぴり」
「……予感?」
「──助かるような」
 護は安堵の息を洩らした。思惑は全く違えども、全く無駄なことではなかったのだ。
「バカ野郎。──この片桐護がいるんだぜ。そうそう簡単には死なねーよ。……でもさ。その台詞って只の極楽とんぼだぜ、──今の状況じゃ」
「……ここにいるじゃないですか。……護さんが」
「──仁巳!頭痛治ったか?」
珠名がそう応えた時、仁巳が姿を見せた。
「護……秋夜くん!」
 護は明るく呼びかけた。仁巳は面食らった様な顔をして、自分の友人達を見た。──それに対して護はいつもの笑顔で返した。
「心配してやって損した……」
「お前に心配してもらう程モウロクしてねーよ」
 護は意識的にはっきり発音した。──唇を切った所為で、気を付けないと声が濁る。
「けど、電話で嘘はつきませんでしたよ。二人とも、元気だって。お父様もご無事です」 仁巳がはっとしたような表情をした。
「秋夜くん……」
「珠名、でいいです。──信じています。自分達の強運」
 珠名がウィンクする。仁巳は呆れた、と言う感じに肩をすくめ……微笑った。
「さぁて、おまえ等の友情ごっこには飽きが来たよ」
 三揃えの声が緊迫感を作った。
「……もう二度とその面見たくない位にな」
「……俺達だって、いい加減飽きてきたよな、珠名」
「はい。もう一時間近くですから、僕なんて」
「うるせぇ!」
 三揃えの手が空を切った。
「珠名っ……よけろ!」
 護の声も、間に合わなかった。
 珠名は運動の法則の従うままに床に転がった。
 三揃えの手の中にはワルサーの銃身があった。──グリップで殴りつけられたのだ。
 右のこめかみから血が筋になって頬を伝い
──石床に染みを作った。
「……珠名……」
 三揃えが酷薄な嗤いを浮かべ、仁巳に話しかける。
「……化け物さんよぉ……二者択一だ。この部屋の奥にいるお偉いさんの実験材料になるか、それともコンクリート漬けの海水漬けか……」
「化け物と呼ぶな。俺には高瀬仁巳という名前がある」
「化け物には違いねぇさ。──浅井!こいつの身体検査しろ」
 剃り込みをしたポロシャツの男が近寄り……上から仁巳の服を軽く叩く。
「……あ?ボス!こいつ手ぶらじゃありませんぜ」
 上着の内側を探り、黒光りするものを取り出した。
 護はそれに見覚えがあった。
 護が三揃えから奪ったリボルバーだ。 あいつ……こんなとこに。
「……こいつぁ……大した度胸だぜ。あいつといいお前といい……気に食わねぇ」
 ──愁嘆場、かな。
 護はふと、横の人影に目を遣った。
 視線が仁巳を射抜いている。身体を震わせたまま……それでも仁巳から眼を離さない。
 断末の症状に近く……だが、強い何かを発していた。
 『何か』──『想い』。
 一方、リボルバーをとりあげた三揃えは、仁巳の方へ銃を向けた。分捕り品ではなく……あれはもっと大きい……マグナムか。
「仕掛けしてあると、やばいからな……へ、へへ……その活きのいい身体に鉛弾撃ち込めるだけ、撃ち込んでやる……生きてても、死んでても、報酬は同じだしな……」
 安全装置がはずれる音がする。
「……まず……鎖骨だ……」
 三揃えの眼が、標的を定めた。
 仁巳は動かない。
 銃声が狭い倉庫の中、響き渡った。
 仁巳は立ち尽していた。──無傷で。
「バカが。……無駄な手間、取らせやがって」
 三揃えが吐き捨てた。
「護さん。……今何が……?」
 珠名は今の銃声で眼を覚まし……虚ろな口調で護に尋ねる。
 護は珠名に眼をやり……仁巳の足元に転がる人影に視線を移し、──ゆっくり首を横に振った。
 人影は覚醒剤漬けの男──仁巳の父親だった。

 仁巳は跪き──魂を抜かれたかの様にのろのろとその場に座り込み……父親の身体を仰向けにして、上半身を起こした。
 父親は……うすく目をあけ、微笑いかけた。
「…・ ひ……とみ……立派になった……幾つだ……?」
「十六です……」
 弾の痛みで、正気に戻ったのか……?
 護は目をそむけた。
 父親は、仁巳の頬へ右手を伸ばした。仁巳はその手を取って、自分の頬に当てる。
「……あの人は……約束を守ってくれた……」
「喋らないで……」
「言わなくては……いけないことだ……聞き、なさい……」
「……はい」
 仁巳は素直に従った。
「私は……お前を……嫌がる妻──お前の母さんから……奪い取り、研究材料にした男だ……父さんと、呼ばれる……資格は……無いのだよ……」
 沈黙。
「お前は……女の子として生まれる筈だった……それを……私は遺伝子操作で、お前から、本来人間にない能力を引き出した……お前は……お前の体細胞は……それらへの耐性……自己だけでなく、他の者にも……」
 三揃えは、相変わらず優越感に満ちた嗤いを浮かべている。
「後悔など……する筈が……ない……そう思って、いたよ……上からの命令に従って……国の為に、役立ったのだと……処が……ある日、突然、怖くなったのだ……お前が生まれて、一週間して……今更の様に。私は逃げ出した。妻と、お前を連れて……けれど……妻は、体が弱かった……そして……お前を私に預け……囮になり、射殺されて、しまった……仁巳という名は……女の子が欲しかった、妻の……我が子につけたかった、名前なのだ……」
 父親は、そこまで話すと……急に苦しそうに息を吸いこんだ。
「……しっかりして!父さん!」
「……こんな、情けない男でも……『父さん』って呼んでくれるか……優しいな、お前は……妻も、優しかった──そして、綺麗だったよ……お前は、母さんによく似ているな……父親に、似なかったな……うれ、しい……よ……」
声が、かすれかすれになっていく。
「もう、諦めていたのに……こうして……お前に逢えた……そして、死んでいける……」
「何をもう喋らないで!すぐ病院に行けば……」
「……だめだ……もう……なぁ……一生、恨みなさい……お前を、玩具の様に扱った、生みの親を……卑怯な……や、つを……」
「とう……さん……」
「お前が………こんなに、いい子でよかっ……」
 仁巳の頬に触れていた手が、力を失い……首が微かに、横を向いた。
 仁巳孔が、面積を拡げた。
「親子のご対面は済んだかい?」
 三揃えの声に、……仁巳は静かに父親の瞼を閉じ……床に丁寧に頭を下ろした。上着を脱ぎ、腹腔の傷の上にかぶせる。
 珠名がうつむき……泣いていた。水滴が、右頬の乾いた血の上を零れ……薄紅く染まり、床に落ちる。
 護は……口惜しさに震えていた。
「感謝しな。……禁断症状で苦しんで死ぬのと比べたら……安楽死だ」
「それは結果だ!」
 三揃えが護の方を向く。それでも護はくってかかった。
「この……下衆……」
「大層なお褒めの言葉、有難よ」
 銃口が、護を見つめた。
「お鉢が回ってきたぜ。余計な口、きかなきゃ……」
「言ったろ。『賢い奴は、藁をも掴んで助からず』ってさ」
「ご明答」
 答えたのは、三揃えでなく仁巳だった。
「……護、こいつの名前は?」
「徳川だとよ。……家康が泣くぜ」
「そんじゃ、徳川さん」
 仁巳は薄笑いを浮かべ……三揃えの方へと歩み寄って行った。
「動くな……撃つぞ」
 三揃えは、再び銃口を仁巳に向けた。
 それでも仁巳は歩み寄って行った。
 段々三揃えの目が、怯えの色に染まっていく。
「……く……来るな、化け物」
「名前呼べよ。──撃てるもんなら撃ってみろ」
 とうとう、三揃えの真っ正面に立つ。
「撃てないのか。……なら、いらないよな、こんなもん」
 左手──利き腕で、ワルサーの銃身を持つ。
「な、何を……熱っ!」
「──こんな危険な玩具……徳川さんが持ってちゃいけないな……冥土の土産に、言い残すこと、あるか?」
 仁巳は奪い取ったワルサーのシリンダーを出し、弾を全部床に転がし……三揃えの眼前に本体をさらす。
「見てろよ。……滅多に見れないショーだ」
 一瞬にして、ワルサーが溶け崩れ……赤熱色の液体となる。
「……ひっ……」
 液体は掌から零れ落ち……仁巳の手から離れた途端、冷え、固まり……床にぶつかると金属音を響かせ、はね返った。
「……あんただけは、許さない……そうだね……灼熱地獄なんて、どう?それとも、極寒……」
「そこまでです……仁巳くん」
 三人とも知ってる声が、背後から聞こえた。
「……織田……先輩……なんで……」
「話はあとで。後は警察の仕事です」
 織田は護達の方に寄ってきて、まず珠名の縄をほどき始めた。
「先輩……護さん、右腕骨折してます……気を付けてほどいてあげて下さい」
「判りました。……仁巳くん……仁巳くん?」
 織田が振り向いた瞬間……仁巳の身体が大きくかしいだ。
 その身体を、誰かが支える。
 織田がほっとした様に、話しかけた。
「間に合いましたね。長矩くん」
「……なんとか」
「……浅野先輩……」
 一番最後にやってきた人物は、浅野長矩。聖グローリア学院・生徒会副会長だった。
「信忠……幾ら緊急事態だからって、電話で一言『S生物研究所』はねーぜ」
「なーに。かけがえのない相棒ですからね。ちゃんと来てくれたじゃないですか」
「俺だから来れたよーなもんだよ。……後輩が可愛いもんだから、張り切っちゃって。──護。会長候補の二人って、お前とこいつ?」
「……まぁ」
 護は照れ臭そうに笑った。
「……やっけねーのぉ……昨日、居合わせりゃよかった」
「それは君がいけない。どーせデートだったんでしょうが、色男」
「学校終わってまで男と一緒に居てもつまんないじゃない?」
「……ま、いいですけど。……護君、歩けます?」
「ありがとう、先輩。……平気ですよ。家に帰って、診てもらうから……」
「護、ちょっと待て」
 仁巳が護の右腕を掴んだ。
「ちょっ……いてーよ!」
「動くな」
 皆が見守る中、仁巳は傷口に触れた。
「はい、いいよ」
「痛く……ない?」
 護は袖に手を突っ込んで、自ら傷口に触れた。
「傷が……消えた……」
 唖然とする護をよそに、仁巳は珠名を呼んだ。
「はい」
 仁巳の手が珠名の髪の中に滑り、そっとこめかみに触れた。
「すごい……護さん、商売敵が出来ちゃいましたね」
「いいよ。俺、医者になんかならねーもん」
 なんとか、大団円になった五人の背後から、気味の悪い笑い声がした。
 三揃えだった。口端から、涎が垂れている。目が虚ろだった。
「自律神経の喪失ですね」
 織田の言葉に、仁巳がうつむく。それを見て、浅野が肩を叩いた。
「高瀬の所為じゃねぇさ。……報いだよ」
「そう。騒ぎが大きくなる前に、ここを出よう」
 護がそう言うと、仁巳は微笑んで、言った。
「そうだね……でも、少しだけ待って」
「じゃ、外で待ってますよ」
 他の四人が光の向こうに消え……仁巳はそれを見て、父親の方に歩み寄った。
「……父さん……一生恨みなさいって言ったけど、俺……ちっとも恨んでなんかいないよ……この力がなきゃ、友達だって救えなかったし……何よりも今、高瀬仁巳として存在してるんだから」
 それだけ言うと……仁巳は友達の方へ向かって走り出した。

「織田先輩!」
 翌日。護は早目に学校に登校して、三年H組を尋ねた。
「入ってらっしゃい」
「……何してるんですか」
「何してるんですかって……見ての通りです」
「……はぁ」
 織田の後ろに座っている浅野が、織田の長い髪を三編みしている。
「処で、用件は?」
「はい、実は……ちょっとお願いが……」
 護が話すに従って、織田と浅野の顔が驚きの表情に変わっていった。
「本気……ですか」
「後悔しねーだろな」
「しませんよ……何なんですか、その表情は」
「いや、ちょっと信じがたくて……」
「──ともかくいいですか?」
「構いませんよ、手間は減りますから……」
「それじゃ、お願いしますっ」
 そう言うと、護は先輩の教室を辞退した。
「……驚きましたね」
「──世の中は、理解不能なことが起こるもんだなぁ……」
「でも、かえって面白いかも知れませんね。──気楽に引退出来ますよ……」
 素直に感想をもらして……織田はまた、いつもの笑顔で遠い目をした。
 結局、この事件は精神異常者の脅迫観念による犯罪として、終止符を打った。何しろ人間の手が高温を出して拳銃を溶かしたなぞ、誰も信じる者はいなかったのだ。
 だから、珠名以外の四人はあくまでも沈黙を守り、珠名も『相手の隙を見て逃げ出した』としか言わなかった。
 ただ、女性週刊誌の興味を最大限に引いたことは確かで一ヶ月、ないし忘れた頃に追い回されることとなる。
 けれど、それはまだ後のことだ。
 この日は『金曜日』だった。
「本日、訂正があります」
 鎮まった生徒会室に、織田の声が響き渡る。
「先日、会長に立候補した片桐護くん……が、副会長候補に変更を希望致しましたので……」
 淡々と響く声の中、視線を感じ護は振り返った。
 茫然と自分を見つめる仁巳に護はにやっと笑って見せた。

「何であんな事したんだよ」
 帰り道、仁巳は不機嫌だった。
「あんなことって?」
「何で勝負しないんだよ」
「つまらないか?」
「な、何だよっ」
 護が尋ね返す。
「……そうだよ」
「でも本当に……何故ですか?」
 珠名が神妙な表情をして尋ねた。
「そんな大した事じゃないさ」
 照れたように、護が笑う。
「……競争するのもいいけど、たまには協力するのもいいかなって……ずーっと張り合ってたら、疲れちまうよ。……間違えるんじゃねぇぞ。いつかはお前を追い抜いてやるからな」
「まぁ……そうだろうけどさ」
「それにさ」
 珠名にウィンクする。
「俺達、いい『トリオ』だと思わん?」
「……え?」
 仁巳の表情が『奇妙』と形容されるものとなった。
「俺達三人なら、学校中のみんな、引きずり回せる。……無敵だ!」
「あはは……」
 珠名が明るく笑って、……護の袖を引っ張った。
「護さんのそう言うとこ、僕は好きだな」
 隙をついて、珠名は護と腕を絡ませた。
「ちょ、ちょっと、離せよ!」
「お幸せに」
「仁巳?」
「初恋の人と結ばれて良かったじゃないか。ついでに送ってってやれよ。じゃ、明日な」
「って……大体こいつはそんなんじゃ」
「護さーんっっ!」
 背後から聞き覚えのある音と声がした。
 先日の暴走族であった。
「……何の用だ」
「お願いです!どーかオレら『シャークス』のヘッドになって下さい!」
「『兄貴』って呼んでいいですか?」
「横にいるの、恋人さんですか?そしたら、『姐さん』だ」
「てめーら、何考えてるんだよ!」
「だって強いじゃないですか」
「それ以上言うと、又怪我人増えるぞ!」
……ともかく、全ては始まったばかりだった。

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