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中篇

「──ひとみ……?」
 幼稚園の時からの腐れ縁だが、こういう表情を見るのは初めてだった。
(……そう言えば、塀の中に入ったことはあっても、仁巳の部屋にきたことは無いな)
 今更の様に思い出す。
 つい、一人称の転換の意味を聞きそびれ……
「早く話してくれ」
「あ、ああ」
 護は昨日の出来事を簡単に話し、ハンカチで包んだ拳銃を仁巳に渡した。
 仁巳は渡された品物を凝視し、呟いた。
「リボルバーか……」
「……ちょっと待てよ」
 護は鋭く口を挟んだ。
「──包み開けてなくて何で拳銃の種類、判るんだよ」
 仁巳は我に返った様な表情で、不安そうに護を見た。
 やがて目を伏せ、静かに語り出した。
「もう……こうなったら話すより仕方無いんだろうな……何時までも隠し通せるものでもないしな」
 仁巳は顔を護の方に向けて、微笑んだ。自然に、護の言葉が力を失った。
「命を狙われた君には、尋ねる権利と義務があるんだ。……君も元よりそのつもりだろう」
 ゆっくり詠う様に、仁巳が話す。
「僕は、高瀬克哉の実子ではない」
 夕陽の射し込む部屋で、クリーム色の絨毯は朱く染まり──その色を薄めつつあった。


「俺は、父にも母にも……妹にも似ていない」
 護は逆光になっている仁巳の横顔を見ながら──段々錯覚に陥ってゆくのを感じていた。
 それは、過去の風景。
 護の覚えているおじさん……つまり仁巳の父は、やたら仁巳には厳しい男だった。喧嘩だけでなく、何か事を起こす度に怒られるのは仁巳だった。
 あれはいつの日のことか。……そう、幼稚園で知り合ってまもなく。仁巳はそれ以前には全く外に姿を現したことはなく、向かいに住む護さえ存在を知らなかった。
 今でも在る、仁巳の家の梨の木が──両親の結婚記念に植えたのだと云う──秋になって実をつけた。
「ね、内緒で食べちゃおか」
 言い出したのは護だった。
「けど……」
 仁巳は渋っていた。今思えば、それは厳しい父親への恐怖だったのだろう。
 だが、護は強引に仁巳を誘った。しまいには、挑発もした。
「何だよ。木に登れないのか?」
「……木にくらい、登れるよっ!」
 そう言って、登り始めた。あの頃から仁巳は自尊心が強かった。
 がむしゃらに登って、少し遠い枝を掴んで──手を滑らせた。
「……ひとみっっ!」
 幸か不幸か、クッションになったのは父の大切にしていたどうだんつつじで──
 高瀬家の人々も、護の叫び声を聞いて出てきた。
 仁巳は涙をこぼしていた。
「ひとみ……」
 心配そうに覗き込んだ護の顔を見て、仁巳は言った。
「護なんか嫌いだ……いなくなっちゃえばいいんだっっ!」
 まだ五才半。相手の心の内など見えはしない。
「何だよっっ……俺だってお前なんかっ!」
 言うなり、仁巳の家を飛び出した。
 門を出た時、はりつめた音と大きな泣き声が聴こえたような気がしたが、……
 家に帰っても、母も姉も居なくて──そのまま自分の部屋へ駆けこみ、ベッドの上に座り込んだ。
 急に涙が零れた。
「何だよ……仁巳のバカ野郎」
 その後のことは良く覚えてない。気がついたら次の日の朝だった。
 階段を下りると玄関に仁巳の母親が来ていた。
「──護、起きたの? 早く幼稚園の支度、しなさいね」
「……はい」
 母に言われて、再び階段に向かい、振り返ると仁巳の母親が頭を下げて帰って行く処だった。
 幼稚園から帰って来て居間に行くとおやつに和菓子が出ていた。後で仁巳の母親が持ってきた物だと知らされた。後味がひどく悪い……でも仁巳には絶対謝らなかった。
 嫌悪が心を支配した。一番嫌な奴は……俺じゃないか。
「俺はね、貰われっ子なんだよ」
 精神が現実に引き戻される。
「高瀬家は純粋なO型家系でね……でも俺はA型だ」
「あいつ等はそれ、知ってんのか?」
「恐らくね」
 仁巳の口調は変わらない。
「……護」
 一分もしない時間が、何時間にも感じられる。
「……何だよ」
「十一年間、とても……感謝という言葉では表せない程感謝している」
 意外な一言だった。
「何のかんの、文句言ったって、いつも俺を支えていてくれたのは、護だからな……謝りたかったけど、親父が外に出してくれなかったんだ。次の日になってしまうともう照れ臭かったし」
「──冗談。俺はいつだってお前を追い抜いて見返してやりたい……その一心だったんだから……お前としたことが、弱気だな」
「これは始末しておくよ」
 仁巳はベッドから下りて、拳銃を包みごと机の引き出しにしまい……静かにハンカチだけを持ち上げ、丁寧にたたみ、護に返した。
「助かった。幾ら親不孝ばかりしてても補導だけは避けたいもんな……ところで頭痛は?」
「今は小康状態でね。一週間前から、周期的に来るんだ……午前八時と午後六時に」
 慌てて時計を見る。まだ、午後五時十五分位。
「そう慌てなくてもいいよ。折角君の初恋の君がお茶を入れているんだ……飲んでから帰ればいい」
「はつっ……仁巳、貴様っっ!」
がしゃんっっ……
 珠名がいた。
 足元はトレイと、陶器にお茶をまぶしたオブジェと化している。
「……ごめんなさいっ……」
 慌てて破片を拾い……
「痛っ……」
 手を押さえる。白い指先から、真赤な血がこぼれ……お茶に混じった。
「珠名……平気か?」
「……はい……あはっ、我ながらドジもいいとこですね……」
 何もなかった様な口調だが、顔にははっきり動転の色が現れている。
「秋夜くん……お手伝いさんが片付けてくれる。こちらへ来て血止めをする方が先だ」
「何言ってんだ……冗談がキツ過ぎるぞ」
「悪かった。……早く血を」
 仁巳の素早い手当ですぐ血は止まった。
「君の両親には僕が謝るよ。これはあくまでも応急処置だから、早く家に帰ってちゃんと血止めをした方がいいだろう。……車で送るから」
「……いえ、自分で帰ります……お構いなく」
仁巳は頷いて……一言だけ挨拶を述べた。
「気を付けてな……」
 護はぼーっとしていたが、珠名が帰り支度を始めると自分も手早く荷物をまとめた。
「……すいません、長居してしまって……失礼します」
 珠名はそう言うと、仁巳の部屋のドアを開けた。
「……じゃ、俺も。覚えてろよ。──趣味の悪い冗談の礼、いつかしてやるからな」
 珠名は仁巳の家を出るまで、口をきかなかった。
 出た瞬間、護にくってかかった。
「……護さん、高瀬さんの言葉、どう云うことですか」
「悪い冗談だ。気にするな」
「お願いです! ──言って下さい」
 普段おとなしい珠名の言葉であることと、護を見上げた真剣な目が一種の緊張感を醸し出した。
「……判ったよ」
 護は前髪を掻き上げた。困った時、彼が良くやる癖である。
「俺の、初恋の人。初等部五年の頃かな? その娘が、──お前に良く似た感じの女の子だったんだ……ったくあいつ、何て事云いやがるんだ……珠名、どうした?」
「護さん、……ごめんなさいっ!」
「珠名?」
 珠名はすごく怯えた目をして……そのまま、背中を向け、走り出した。
 護は混乱していた。
 仁巳が云ったことが本当だったとすれば、珠名の今の行動は理解できる──すると、俺の惚れてたのは彼奴だったのか?けど、あの娘は──
……駄目だ。これ以上考えられない。
 護はふらふらする頭を収めることも出来ず、自分の家の玄関をくぐった。


 珠名は、護と別れてから次の角で、ようやくその足を止めた。息を切らしたまま、立ち尽す。
 最初に顔を見たときから、見覚えがあった。 初めて秋夜の家へ来た年の夏の花火大会。ぼーと自分の方を見ていた、ランニングの男の子。まさか、こんな形で再会するなんて──
 息が落ち着いてきた処で、ゆっくり歩き出す。もう一つ、角を曲がれば家に着く。
 明日、護さんに謝ろう。きちんと。何て言えばいいかな……
 角を曲がろうとした。
 曲がった、ではない。曲がろうとした。曲がろうとして──人にぶつかった。
「ごめんなさいっ──……!」
 血の気が引くのが判った。
 小柄な珠名は、身長僅か一六二センチしかない。なのに、ぶつかった相手は二メートルはありそうな大男だった。
 しかも、サングラスと黒の三揃え──
「秋夜珠名くんかい」
「あ……はい」
 返事をしてしまってから、
「あの……何かご用でしょうか」
と尋ねた。
「直接なご用じゃないけどね」
「──?」
 背後から羽交い締めにされ、口に布が押し当てられた。
(変な匂い……)
 そう思ったか否や。力がぬける。
 珠名の体が崩れ落ちた。
「……君がいけないのだよ。変な好奇心を起こすから……」
 珠名の身体を抱え上げた男が、不思議そうな顔をして親分、と言った。
「こいつ、……綺麗な顔してますねぇ。本当に男なんすか?」
「親分じゃねぇ、ボスっだっつってんだろ。早く運ぶんだ」
「へいっ!」
 側にある黒塗のBMWに被害者と加害者達は乗りこみ……車は発車した。


 仁巳はきっかり三十分後に部屋の電話の受話器を取り、珠名の家の電話番号を忠実に押した。
「もしもし、こちら聖イルミアの高瀬と申しますが……」
 そこまで言って、仁巳の目が見開かれた。
「帰ってない……」
 妙に、自分の声が乾いていくのを感じる。
 電話の向こうから聴こえてくる半狂乱の声に、冷静に答えて……
「判りました。心当たりのところを捜します。一時間して見つからない時は警察に電話して下さい。……見つかり次第お電話いたします。それでは」
 それだけ言うと、仁巳は殆んど一方的に電話を切った。
 時計を見る。
 あと十分で六時になる。あの頭痛が起きたら、身動きが取り辛くなる。
 仁巳は少し考え……受話器を取り、向かいの家の電話番号を押した。

「ゆーずるー! 電話だっ! ……護っ!」
 ベッドに寝っ転がって音楽に耳を傾けていた護は、姉の幸都子に半ば暴力的にヘッドフォンを奪い取られ、かったる気に身を起こした。
「あんだよ、幸都姉……」
「向かいからで・ん・わ。早く出な」
「あぁ?」
「お前の事だからまた迷惑でもかけたのか?」
「何だよそりゃ。……判ったから、いい女子高生が怒鳴るなよな。──ったく、何処が麗しの姉上なんだよ」
「何それ」
「織田っていう先輩が言ってたんだよ」
「え……織田先輩って……信忠さん?」
「知ってたの」
「……え……そんなぁ……麗しの姉上だなんて……いやん」
 どうやら、この姉上にも恋心はあったらしい。
「──やってろ」
 護は二階の廊下にある電話を取った。
「もしもし……」
『何やってんだよ! 遅いっ!』
「へ……? ひとみ……」
『秋夜くんが……帰ってない』
「帰ってない……それが……」
『お前とは違うよ、真面目なんだから……あの子は。もしあいつ等に俺の家を出てきた処を見られていたのだとしたら……』
 護は黙りこくった。……昨日の奴だったらやるだろう。──迂闊だった。
『……もうすぐ六時だ……珠名くんに何かあれば俺の責任だ……手伝ってくれるか』
「判った。すぐ出る……」
『織田先輩の方にも声掛けるよ。俺は一回秋夜くんの家に行く……六時半には戻る。連絡入れろよ』
 電話が切れた。
 電話機に背を向け、玄関に行こうとするとベルが鳴った。
「何だよ。こんなときに……」
 護は乱暴に電話を取った。
『……もしもし』
 言葉に濁点が付きそうな程に感情を押し殺した声がした。
『やぁ……また君に用が出来た』
「貴様……!」
『秋夜君──君の大事な友人を預かっている』
「無事だろうな」
『君の行動次第さ』
 気まずい沈黙。……ようやく出た声は、息苦しかった。
「俺に……何を」
『君の私にした行動は私の自尊心を粉々にしてくれた』
 受話器の向こうの、嘲りの表情が見える。
『よって……坊やの命の代償は──君の存在と、あの化け物の所有だよ。……まず君が我々の所へ来たまえ』
「化け物って何のことだ?仁巳のことか」
『……とりあえず、君の学校の前の公衆電話まで走るんだ。──すぐさま出たまえ。六時五分にそこへ電話する』
 優越感に浸り切った嗤いを残し、電話は切れた。
 護は叩き付けるように受話器を置くと、玄関へ向かって走り出した。
「姉貴!出掛ける!ちょっと遅くなるかも」
「護?何処に行くんだ!?」
「刑事ドラマの主役!……もしかしたら脇役かも」
「何だそれは? ちょっと!」
 幸都子が玄関に着いた時には、ドアが派手な音を立て閉じたとこだった。
「……はぁ」
 幸都子は肩をすくめ、居間に向かった。


 トゥルルルル……
 すっかり人気もない薄暗い学校の前の通りに、電話のベルが鳴り響く。
 護は息を切らせながらも、受話器を取った。
「何処にいる!」
『優秀、優秀。スポーツ万能の能書きは伊達じゃなかったね』
「何処にいるっつってんだよ!」
『おー、怖い。若いのはいいねぇ。一丁目のS生物研究所の中の第三倉庫だよ』
「一丁目、S生物研究所、第三倉庫だなっ!」
 受話器を置き、駆け出そうとした。
 不意に、エンジン臭い匂いが自分を取り囲んでいるのに気付いた。
 バイクのエンジンが鳴る。
「兄ぃ……こいつ、高そうな上着着てるぜ」
「その下に着てるのも、ブランドもんだろうよ」
 微かに感じる、アルコールと煙草の匂い。
「どいてくれ」
 ──冗談じゃない。
 暴走族がこの辺に住む学生を狙って恐喝を行っていると云う噂は聞いていた。
 心の中で舌打ちする。よりによって、こんな時に。
 なるべく穏便に済ませたかった。ここで喧嘩にもつれ込むと時間を食う。
 しかし、かえって護の一言は暴走者達を煽った様だった。
「『どいてくれ』だってよ」
「俺達がどかなきゃ、どうするだろ」
「泣くんだろ」
 暴走者達は一つミスをした。
 護を相手にしてしまったことだ。
「……面白い冗談だ」
 護が不敵な笑いを浮かべた。
「おっ。すげーな、俺達とやるってよ」
「金出せば怪我しなくて済むよ、お坊ちゃん」
「生憎今持ち合わせがない。それに、お前等にやる金もねぇよ。それよりお前の750、貸せよ。ぶち壊したら、礼金って名目で金やるさ」
 ヘッドらしき青年が、ほぉと云う顔付きをした。
「いい度胸だ。──借りれるものなら、借りてみろよ。……お前、行け」
「よぉし」
 一番下っ端と見える少年がバイクを下り近付いてくる。
「病院行って後悔するなよ、坊や」
 ガムを噛みつつ、ゆっくり身構える。──
ボクシングを齧ったことがあるらしかった。
「そぉらっ!」
 一発で決まる筈だった。
「──?」
 顔の右に入る筈だった拳は、護の掌の中にあった。
「練習不足だね」
 護がにやりと嗤う。
「殴るってのは、こうやるんだよっ!」
 拳を振り払い、護は相手に十分体重を乗せた一撃を食らわせた。
 少年の体は吹っ飛び、その後ろにあった別の少年のバイクを持ち主もろとも巻き添えにしてアスファルトと友情を結んだ。そのまま、動かない。
「まだやるか?」
 ヘッドの青年の顔の片隅に、後悔の文字が浮かんだ。
 しかし、彼はやはり上に立つ者である。
「何人でもいいっ!かかれっ!」
 たちまち護を囲んで、周りを固める。
「一人……もとい二人で覚悟つけりゃいいのによ」
 ふっと護の体が沈んだ。
 それから五分後護を囲んだ五人は地に伏せ、呻いていた。
「これでも貸してくれないかな」
 ヘッドは既に顔の色と声を失っていた。
 護はそれを見て表情を和らげ──
「ま、お前等にだって面子があるだろうな」
 ポケットに手をつっこみ、ちらりと青年の方を見る。
「見物人も居なかった様だし、俺も喧嘩したなんて親にばれるの御免だし。……取り引きしようじゃないの。お互いこの件はなしってことで。だから、750貸してくんない? 明日、ここに返しとくからさ」
 青年は少し考え……自分の750から下りた。
「……有難う」
 護は心のこもった口調で礼を述べた。……バイクにまたがり、その場を走り去る。
 後ろ姿を見送りつつ──青年は仲間達に聞こえない様に、こっそり呟いた。
「……恰好いい……」

 一丁目のS生物研究所はすぐだった。
 ドアを開けた途端、五つのオートマチックが護を睨んでいた。
 護は溜息をついて、両手を上げた。
「……ガキ一人に、大した防備だな」
「うるせぇ!」
 後頭部に銃口が一つ増えた。
「……口は災いの元」
「拳銃だけじゃ言うこと聞きませんね。ボス」
 後頭部の拳銃の主が三揃えにお伺いを立てる。
「……腕と、足と──腕だ。右腕、折れ」
「へい」
 とりあえず、二人準備の為に奥のドアの向こうへ消えた。
「痛くて口がきけなくなる前に尋きたいんだけど」
「……何だ」
 三揃えがにやにや嗤いながら、承諾した。
「何でヤーさんが生物研究所で生計立ててるのさ」
「ヤーさんじゃない。徳川事務所だ」
「変わんないよ」
 答えは嗤い声を先頭に帰ってきた。
「度胸が座った坊やだ。もしこんなんじゃなければうちの見習いにスカウトしてやろうって物を」
「遠慮する」
「だろうよ。……お偉いさんに雇われてるのさ。あの化け物を引き渡して、金をもらったらこれっきりよ」
「化け物ってのは仁巳のことを言ってるのか?」
「そうだ。……知んなかったんかい?あいつぁ人間じゃねぇんだぜ」
「……何……だと?」
「おやおや」
 三揃えのサングラス越しの目が細まる。
「はったりと思いきや、本当に知らなかったんだな。……可哀想に、巻き添え、か」
 護は、真っ直ぐ前を向いたまま動かない。
「彼奴はなぁ、お偉い学者様々に言わせると日本の先進技術を全部活用した試作品ホモ・スぺリオール──つまり、ミュータントだ」
 再び三揃えが大笑した。
「けどよ、……とどのつまりは人間兵器。そういうのを必要とする国に売られていくのさ」
「……あいつは人間、だ」
「──問答は此処までとしよう。今は君の腕を頂く時だ」
「珠名を離すんだ」
「君の行動次第だと言っただろ。もっとも、あの坊やは頂くよ。ああいうのを欲しがる奴もいるのさ。もっとも、なぶり物にしたって面白い。薬漬けにしてな」
 右腕を九十度上げた恰好のまま、護は眼を閉じた。
(畜生……)
 このまま、何も出来ないのか。
 護は台の上に寝かしつけられた。
 護の身体の上には同じ位の身長の男が馬乗りになり、肩を押えつけている。
「景気よくやろうぜ!一斉の、そーれっ!」
 上腕部に十センチ四方、一・五メートル程の角棒が叩き衝けられた。
 鈍い、嫌な音がした。
「……うがああああああっ!」
 痛みが全身を駆け巡る。呼吸が喘ぎになる。
 それでも護は、啖呵を切った。
「命が惜しいなら、すぐに殺せ! 銃でもナイフでも──」
「若いもんが、死に急ぐな」
 三揃えが笑いを浮かべ、護を上から見据える。見事な、それは──アルカイック・スマイル。
「……君も、飼料だ。私達の目的はあくまでも、あの化け物だからな」
 頭がくらっとする。
 痛みで意識が失われつつあるのだった。
「おや? 坊やはお休みの様だ。丁重に、運べ。縛ってな」
 微かに、三揃えの声が頭に響いた。

 護が意識を取り戻したのは、第三倉庫の危険物取扱特別区画だった。
 右腕をしたたかに木箱に打ち衝けられる。
「ぐっ……」
 痛みに喘ぐ護に、懐かしい声が聞こえた。
「──護さん? じゃさっきの声、やっぱり……」
「珠名か」
 痛みをこらえて、微笑いかける。先客は、一応無傷のまま護の横にいた。
「……みっともないとこ、見しちまったな」
「喋らないで。右腕……血が」
「平気だ。折れた位じゃ……」
 護は正直に答えた。隠しても、先刻の叫びと、出血量で判ってしまう。
 ようよう一息ついて、上半身を起こし木箱にもたれかかる。
「……ゆず……るさん……」
 珠名がうつむいた。
「……ごめん……なさい……」
「泣くなよ。泣いたって俺、こんなんじゃ拭く物何にも出してやれないんだから」
「……だって」
「お前が俺の腕折った訳じゃないだろ」
「でも……僕が、捕まらなかったら」
「いじいじした奴は嫌いだって言ったぜ」
「……はい」
 珠名はやっと涙を拭いて、顔を上げた。
「そうでしたね」
 そう答え……微笑んだ。
「お前さ……あの娘だったの?」
「……たぶん……」
「──そうか……」
 意外な反応に、珠名は驚いた様に護を見た。

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